京都によせて

小さな、あてもない京都旅行に出た

旅行と呼べるかも分からないほどのもの

とにかく外に出たかった

実家に帰っても帰った心地がしないように、いくら自宅の外に出ても結局そこは内のイメージばかりで


泊まるところと行き帰りの夜行バスだけ取った。それ以外はなにも決めてない、なにか決める気もなかった


いつも少し遠くに出かけるとなにかしらやらかす、そのたびに落ち込み、自己嫌悪がひどくなり、そこから学ぶ。もう二度と間違えないと。


でも襲ってくるやらかしは毎回手を替え品を替え昼夜問わずパッ!と目の前に現れる。そして己の不出来さだけを残してどこかに帰る。


たくさん写真を撮った、たくさん困った、たくさん歩いた、たくさん食べた。ただほとんど声を発さなかった。声を出したのは箸屋さんとゲストハウスと食事処ぐらい。

声を出さない時間が多いからこそ、話す時いつもより6割増ぐらいで笑顔に、そしてフレンドリーになる。僕と話した人は、少しでも気分よく帰れたのだろうか


別に自分探しでも自分と向き合う為でも考え事をするために行ったわけではない。そんなもの、一人の帰り道で死ぬほど考えられる。


いつも行かないスーパーに行くような、さらの歯ブラシをおろした日とか、そんな少しの特別感が溜まって京都に出た。

聞こえはいいが要は現実逃避だ、山積みの課題を机の上に置いて、試験勉強などなかったかのように


今日からもう現実が始まった