好きなこと

好きなことを書く

 

洗濯物を干す時と取り込む時、柔軟剤の香りを嗅ぐのが最近の楽しみかつ幸せである。

もちろん自分で選んで買った柔軟剤であるが、テスターの香りがそのまま服に付き、優しい香りで全身が包まれるとは限らない。だからこそ、洗濯をした後の香りの安心感と好みの香りであることが、手をつないで私のところまで駆け寄ってくる嬉しさ。

 

人間は「褒められて伸びるタイプ」と「怒られて伸びるタイプ」がいるとよく聞く。アルバイトで子どもと接するとき、よく思う、感じる。

私は褒められれば手を抜くし、怒られると一瞬だけ頑張るがまた手を抜く。

つまり怒られても褒められてもなかなか前に進まない男である。

私の背中を前に推し進めてくれるのは興味と好奇心と自己陶酔と憧れぐらいだろう。あっさり書いているがこれが一番難しい。揃うわけがない、初手4カードレベルである。テキサスホールデムなら一枚目の共通カードの時点でスリーカードが出来上がっているレベルである。無謀。

 

アルバイトからの帰り道、最近買ったパーカーとお気に入りのマフラーで寒い寒いと呟きながら帰っていた。いつも横目に見ていたマンションの主張が激しかった。イルミネーションをつけてもらっていた。ただそれが小さな幸せになった。

探せば小さくても幸せなんて日常にたくさん転がっているのに、探しもせず一目見ただけで何もないと勘違いし不幸だと嘆くのはもったいないのではないのか

私にはわからない、誰かといるのが幸せな人もいれば、おいしいものを食べてる時が幸せな人もいるから。いづれにせよ自分が何が好きか、何に幸せを感じるか、自分自身のことほど難しいことはないが、知っていて理解しようとして損なことはない

 

周りの木々が秋の装いを始めている。たまにマイペースに緑の葉をつけたままでいる木がある、同じ木が隣で暖色に近づいていることに気づいていない抜けっぷり。

桜は咲いた姿も散る姿も美しいとよく言われる、では散り切ってたくさんの足に踏まれた黒みがかったピンクはどうなのだろうか。

紅葉でたくさんの人が木々の近くで上を向いて集まっているが、風と共に歩いている足元の落ち葉たちは落ちぶれてしまったのだろうか。

揺るがない、でもさまざまに変化する自分の「好き」を大事に温めながら生きていこう