毎日決まった時間になれば気怠くも無理矢理体を起こしたり、目覚まし時計のがなりたてる音の前に目覚めて済ませたかったことを済ませたりして生きてる。

 

数日ぶりに陽の高い時間に外に出たら、連日天気がぶっ壊れてると叫ばれてる意味がなんとなくわかった。息がしにくいとかすぐに汗が吹きだしてくるとかじゃない。ひたすらに熱い。暑いではない。日光に頭の先から地面に向かって押し付けられてる感覚がする。既に足りないと思ってるのにこれ以上身長を縮めないでくれ。あんまり外に長居すると体に毒だと、理性が警鐘を鳴らす前に体が避けてる感じがする。

昔から妙に何かを食べたくなったら体がそれを求めてると言われて育ってきた。この体からの反応を見るに、不健康な生活を送ってしまってると思っていた自分の体はなんだかんだまだ健康だな、捨てたもんじゃないなと現実逃避してしまう。

腕に挟んだ水筒が、中身を飲む間に体温を吸収して生ぬるくなった。

 

一人暮らしを始めてから、自分の生き方、立ち振る舞い方にかなり頭と時間を使った。未だに考える時間が必要だ。だがこれは必要だと漠然と思う。月に1回でも、年に1回でも自分の目標や立ち位置や現状を、時間をかけてでも客観的に考えこまなければならない。自分で自分を律せない人間なのは百も承知だ。もう20年以上自分と向き合って生きてきたから、自分を憐れむ時間はある程度使いこんだ。だからもう前に進んでいかなければならない。

 

人は後悔をする。それはかつてのあの時を思い起こせるからだ。そしてそれは決まって美しく見えてしまう、立ち向かってくる現実を避けて眠りにつくこともある。

現在と過去、現実と夢は生きていく上で欠かせない。どんなものにも表と裏は確かにある。

覚めてほしくないと心底願うほどに美しい夢があれば、夢ならば覚めてくれと心底願うほどに醜く見にくい現実もある。

悲しいことに美しい夢ばかり覚えてるから、もう一度、もう一度と現実から逃げて眠りにつく。

しかし、大好きなQB、カーソンパーマーは「時間を巻き戻す魔法なんて存在しない」と言った。だからこそ目覚めて、今のこの一瞬、そして少し先を見据えなければならない。

 

こんなことに気づくのは世間の人間からしたらかなり遅いものだろう。しかし自分は自分だ。自分の中の危機感が大慌てしない限りは何事も本気では前に進ませられないことも分かってる。これもまた自分だ。「俺は俺をやるだけ」、Jin doggの曲の中の大好きな歌詞だ

 

舐達麻の曲でBADSAIKUSHが「言われ尽くされてるそんな言葉が核となる人生はクソだ」と言った。かなり胸に来るものがあった。少しイタい言葉を使うなら、完璧に食らった。

だが、そんな感想で終わらすのはあまりにも野暮で、無造作だ。

酒もタバコも音楽も、誰かの名言も、励ましの言葉も自分を救うことは無かった。それを受けた自分の新たな解釈や考えの広がりが自分を救うのだ。

だからこそ、くそな人生ならくそな人生なりに、凡庸なら凡庸なりに立ち止まってる場合では無いのだ。

 

また少しだけ自分がしなやかに固まった気がした。