旅行によせて
週末に1人で出かけた
何の得にも、何も生み出さないのにTwitterにべたべた写真載せてたから知ってた人もいるだろう
1人で、ライブだのフェスだのじゃなくて、ただの旅行として出かけたのは半年ぶりぐらい
正直行先なんかはどうでもよくて、人とか物に、日々が、生活が溢れてきたら、現実逃避でどこかに行きたくなる。いや、逃げたくなると言うほうが正しいのだろうか
1人の旅を自分探しの旅なんて言う人間がいるが、僕からするとそんな自分探しなんて自宅で1人の時に死ぬほど考えられるだろう。と思ってしまうので、たぶんその人も体よく現実逃避がしたいだけだ
自分でも薄々気づいていた。周りに言われて確信した。よく自分の感情を押し殺していると
この年になるまで気づかなかったし、それほど自然としていたし、たぶんこれはもう変わらないだろうと思う。永遠に自分の欠点になるだろう。生き方次第では才能になるかもしれない。ただの「そういう人」で終わるかもしれない。そんなことはどうでもいい
別に旅行に出かけた理由が、誰々を嫌いになったとか、嫌なことをされたとか、そんなことは全くなくて
ただ現実逃避とか、自分のわがままや身勝手さを出したくなったとかが重なったら、どこかに行きたくなる。
そんな小さなエゴが、回る日々の中で日常に押しつぶされている気持ちが、積み重なる課題からの逃避の心が、この体には収まりきらないほどに溜まっていた。
だからこそ旅行中は好きなだけ自分勝手に行動した。
朝飯を食べ損ねた代わりに通りすがりの何も知らないカフェに入ったり
朝でも夜中でも写真を撮りたい景色や物があったら、車を無茶なUターンをしてでも撮りに戻ったり
全く知らない街をカメラだけ持って1時間ぷらぷらしたり
時間に追われないようになるべく時計を見なかったり
普段は引かない境内の100円おみくじが出した小吉にしょげたり
いつもは車で流さない音楽を暴力的な音量で流したり
それでも時間も、体力も、お金も足りなくて
行けなかったところもあった
心残りもある
1人で旅行をしていたら、もちろん寂しいという気持ちが生まれることもあった。高速を走りながら本気で寝そうにもなった。
でも1人で思いついて、1人で動いて、1人で考えて、1人で困って、1人で妥協して、1人でどうにか諦めの心の形を変えて埋め合わせて
本音を書くと大変な上に、しばしば寂しくなるけれど、非日常を全身に吸い込んで、現実逃避の心を消化して。
前回1人で旅行をした時のブログと同じようなことをまた書いてしまった
そんなことは一番どうでもいい
明日からまた、長い長い現実が始まる。