長く短い話

人は皆、この世に生を受けて、親や誰かに育てられ、生活し、そしていつかこの世に別れを告げる時が来る。

これは皆絶対だ。お気に入りの映画でも、気に入らない映画でもいつかはエンドロールを迎えるぐらい絶対だ


そのエンドロールを迎えるまでに、人はそれぞれ様々なものを得て、失い、取り戻していく。

人によってそれが地位や名声や富や人脈でもなんでもいい。

その中でほぼ全ての人が一度は身につけるであろうもの


自尊心だ


今どきの言葉でいうと自己肯定力とでも言うのか。


人によってこの自尊心が生まれるタイミングも消えるタイミングも様々で、どこでその威力が発揮され、徒労に終わり、取り返す時が来るのかは分からない。もしかして失わないまま生きる人もいるだろう。そんなことはどうだっていい


しかし自尊心のフリガナに「プライド」と振ることはない、それはきっとイコールに近いけれど、確実に違うものだ。漫画の中だけで終わらせてほしい


前置きが長くなった


僕は自尊心が、自己肯定力が低い


大勢の中にいる時、誰かと一対一の時、誰か複数人といる時、一人の時


例えば服屋に行った時


人によって捉え方は異なるが、僕からすると大概の服屋さんはお洒落だ。雰囲気といい店員の方といい、置いてる服もそうだ。商品の値段よりも雰囲気が店を作っているのは間違いない


服は自分が選んで着る、いわゆる自分のセンスや好みが形となって現れると同時に、人から自分自身が見られる最初のポイントだ


誰も皆最初から他人の内面は分からない。人というのは人と人とが支えあって生きているぐらいは聞いたことがあるけれど、それぞれの支える思いは複雑怪奇なものだ。事実は小説よりもなんたらって言うし


とにかく、自分の自尊心が低いからだろうが、どの服屋さんもどの服も身の丈にあってないように見えて、入ると嫌な汗をかいてしまう。店の雰囲気や服が一軍なら自分の見てくれやスタイルは二軍、三軍と思っている。万年ファーム、存在自体戦力外通告


オードリーの若林がオールナイトニッポンで自分の身の丈にあったもの、行動を知るのが重要だ、ということを話していた旨を以前このブログに書いたが、きっと同じような状況だ。


お洒落な人にはお洒落な服が、店が「合っている」。それは本人がそのように自覚し行動し、かつ周囲の人間が「合っている」と認識されるのがベスト。みんな笑顔、今日も世界は平和です。

既に書いたが、自分の意識や行動に加え他人から見られている現状が確かにそこにはある。


自尊心はこの自分の意識やアクションに深く関わっている。気がする

たぶん他人や周囲の人間から見られているという感覚も自尊心がカバーしている。気がする、きっとそうだ


自尊心が低いから自分の見た目に自信が持てなかったり、低く見積もっていたり、ラジバンダリ


でも重要なのが、自尊心が低いことで誰か他人に迷惑をかけることが少ないということがある。

自分の自信が、自分の能力以上になると必ず行動にボロが出る。自分も含め誰かにどこかに迷惑をかける。

しかし自分に対しての査定が低いと、失敗にゆとりが出たり、誰かから「謙虚だ」なんて褒め言葉もついてくる。

ここまでくるとありがた迷惑かなんなのか分からん


適度な自尊心をもつと見た目や行動だけでなく、言動、言葉遣い、コミニュケーションも変化する

これは自尊心だけでどうこうできるものでもないけれど、もちろん変化する。


あっさり書けば適度な自尊心、自信を持つといろんなことが上手くいくよって話。


たったこれだけのこと


そう、たったこれだけのこと

あがいて休んで

適当に生きてるなと思う時がある

 

もちろん一人間として、一大学生として課題を出したりアルバイトに向かったり、そこそこにやるべきことはやっているつもり、つもり

 

それでも自分を見たときに適当だなぁと思う

周りのちゃんと生きている人間とか、しっかり者の人間を見ていると余計に自分の適当さ、不甲斐なさが際立って見えてしまう。

だからこそそんな適当さを抱えている人間には勝手に親近感がわいてしまう。適当だなと笑ったり、それを悩んでいるなら聞いたり

 

でもいつもそうだった。自分の気持ちを推し量ってもらって助けてもらって、でもその人は僕の助けなんて必要のないところまで自分で歩んでいて。ありがたいことにこれまで周りの人に恵まれながら生きてきたと思う、他の誰かと比較しようはないし、したくもない。似ている人がいるかもしれないが、確実にその人は他人で違う人だ

 

自分は考えていること、思っていることを口に出すのがとても苦手で、先輩友人後輩に会ってもすぐにアクションができない。目を合わせて、逸らして、誰かを認識して、もう一度目を合わそうとしたときにはもう視界にはいない。そんなことばかりの日常だ

考えていることがうまく声としてすぐに出せないからこうして脈絡もない文章をゆっくり書きながら消しながら書きながら、せめて文字に起こそうとする

それでも足りない、文字は言葉より便利だが、それでも想像以上に使い勝手の悪いツールだ。使い方を誤れば刃物にも羽毛の無くなった布団にもなる

口下手は損だ。それ以上に人づきあいは難しい

 

最後に自分の足で、自分から前に歩みだしたのはいつだっただろうか

もう遠い遠い昔のように思えてしまう。

 

好きな音楽も、洗濯も、時間も、煙草も、うっとおしいぐらいの太陽も、雨も、食器洗いも、感嘆符も、

なんにも自分を救ってくれない。どんな形にせよ足を前に出すのは自分自身しかいないと分かりつつも今日も外の空気と触れ合う

漢.

とある男性アーティストのプロフィールに「好きな女性のタイプは?」という質問がある


彼は「今まで好きになった全部」と答えた


続けて「好きな女性の仕草は?」という質問がある


彼はまた「今まで好きになった全部」と答えた


別に、心に受けると書いて愛だ、なんて寒いことを言う気も書く気もない。そんなものは自分が何者だとも分からず踊っている人達に任せればいい。

言葉を、自分なりの言葉を使えばそれで充分で、それが全てなのだ


女は上書き保存、男は別ファイルへの保存なんて言葉がある。きっと踊りながら誰かがこの絶妙に微妙な言い回しを浮かんだに違いない。

僕は男だから、女の人がどう考えてるかなんて分からない。電波も使えなければテレパシーも使えない。未だに人間は発展途上なのだろうか


僕は男だから、そのアーティストの答えに賛同した。男は忘れられない生き物なのだ。女は知らない、何度も言わせないでくれ


バカな男だと、引きずる男だと笑えばいいさ


でも、それすら超えてしまうことも多々ある。その方が多いのかもしれない。かなり長い間そんな気持ちになっていない自分はperhapsやmaybeばかり使ってしまうけど、そんなものだろう。


男はきっとそういう生き物かもしれない、たぶん

いつからこんなつまらない人間になったのだろうか


いつも周りを見て、人の顔色を伺って、当たり障りのない話をして、帰り道にその日の反省をする。1人の帰り道は地獄、死相が見える


いつからこんなつまらない人間になったのだろうか


毎日毎日、若干の起伏はあるけどずっと平坦な道を歩いてて、その中で一際高く見える壁が人間関係だ。

何をするにも人間関係が大事なこの世で、人間関係の構築がものすごく苦手である。中途半端に甘いカフェラテぐらい苦手


自覚してるゆえしばしば、なぜ苦手なのか考えたりする。考えても大概答えは出ず、基本的に雑談が苦手で人の精神的パーソナルスペースへの踏み込みが浅い、ぐらいが結論になる。もはやこの結論すら浅く感じる、永遠に奥襟掴めてない


毎度同じような結論で、でもどこか致命的に足りないところがあるようで、わからないことが沢山あって


自分以外の人間なんて分からないものの塊で、そこに自分自身すらわかってない人間がぶつかって行く。片手落ちの状態で手が何本あるか分からない生き物に立ち向かう感じ。今日のPlay of the 無謀


やっぱり人間だから、人に嫌われていないかを気にする。どれぐらい好かれてるかよりもどれぐらい嫌われているかを気にする。

誰かに対する「嫌い」の感情って、「好き」の感情よりも23倍ぐらいはっきりしている。「好き」の感情が棒なら「嫌い」という感情は鋭利な刃物だ。


でもうまくその刃を避けれる人間がいることも知っている。例えば先に刃物を構えたり、向けられた刃物に興味すら失ったり、刺し違えたり


不器用で心のドアが狭く分厚く、気を許した人間には障子ぐらいになる僕はまだその避け方を知らない。


つまらない人間だ


そのドアの向こうで刃物を持つ人間なんかほとんどいないというのにいつと身構えている


今日は満月だ、いつもより長く起きていようか

人となり

ここ最近いろんなことがうまくいかない 

大学の課題であったり、自分で立てた予定だったり、人間関係だったり。 

 

好きなバンドはなかなか売れないし

 

洗濯機を回すタイミングを逃し続けたり

 

快晴で暑いやら曇りなのに蒸し暑いやらで服に困ったり

 

南キャンの山ちゃんのお袋さんがええこと言うてた、みたいなツイートをRTで見た。

「努力して…」みたいな、とにかく努力すりゃ何かしら残るって

いや2/4はネガティブなやつが残るやんってくだらないツッコミしたり

 

家はいつまでも手狭だし

 

家にいたらモチベーションはいつまでも低空飛行だし

 

一応20年も生きてきたからそろそろなんでもかんでも思い通りになるなんて思ってないし、もう気づいた。でも、もしかして自分なら…なんていうなけなしの、なんの成功体験にも基づかないチンケな自信がいつも隣でニヤニヤしてる。いやなやつだ

 

欲しいものはそう簡単には得られない。

人間関係とかお金とかやるべきことじゃなくてやりたいことをする時間とか

自分を正当に公平に冷静に信じて誇れる力とか

 

足らないものは自己肯定力と自尊心だなんて気づいてる。だからこそ人との関係とかでしょっちゅう困る。思い起こせばいつでもそうだった、知らない間に置いてかれてるし、気づいたころには足を前に踏み出すタイミングすら失っている。

あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならないなんて言うけど、あなた自身が愛せてないからね

人間不信なんかじゃない、言い換えるなら自分不信なんだろう。

 

ありがたいことによく周りの人に助けれらながらここまで生きてきた。

その人間関係すら自分の性格や人柄で得られたものだなんて信じることすらできないまま助けられて、こっちも助けてあげようと思っても僕の力なんて及ばないほど先に走っている。

 

家の時計の電池が切れて秒針が残り少ない力でもがき続けている

もがき続けている。

わからないもの

最近腹痛がひどい

 

ここのところずっとだ、口にしているものにそうたいして変わりはない。

違うと言えば最近飲み始めた白桃グリーンティ。白桃の香りがしながらグリーンティという代物。さては貴様が劇薬なのか、ならば有印良品許さん

人によってはやばいかも知れませんとか書いてくれ、地獄を見る

 

一昨日ぐらいは鼻水が止まらなかった

正直その日終日はひどい態度だった気がする。周りにいた人達、すまない。悪気はない、悪いのは鼻だ。

 

体の調子が悪いと、いつも以上に体からの声を聞こうとする。こちらから問いかけても返事を発する声はない、当たり前か

 

体の調子が悪いと、最近口にしたものを振り返ったり、自分の体調の悪さを冷めた目で見てみたりと、自分と向き合う時間が長くなる。

 

まー自分自身のわからないことわからないこと

 

自分が分からないという感覚が分かるだろうか

 

別に自分がすごい能力を持っているとは思わないし、SARVELの仲間に入れるとも思っていない。極めて人畜無害な中庸な、少し人見知りな人間。ただの人間、モブキャラ

 

自分が分からないという感覚

ふとした時に気づく。

 

ぼんやりと、非常にぼんやりと自分は何者で、何がしたくて、誰を、何を好きで、何をするべきで、自分で自分のことが分からなくなる感覚

 

疲れているのだろうか

 

なぜか、太陰暦で過ごしていた高校の古文漢文教師を思い出した。太陽ではなく月と暮らす彼は今元気だろうか

 

僕は今元気なのだろうか

夜の話

身勝手がありあまる


自分はかなり我儘な人間だ。誰かを誘うより誰かに誘われたいし、でも誘ってくれた人がイマイチな時は断る身勝手


誘われたいという思いは、誰かに必要とされたり誰かに気にかけてもらってるということを確かめたいんだろう

しかもその思いが日常に枯渇してるから求めすぎたりするんだろう


でも枯渇してるのを誰にも気づかれたくないし見透かされたくない


何度も書いているけど僕には友人が少ない。自分に関わる人、関わってくれる人はなぜ僕といるんだろうと思う時がある。

特に面白いことも言えないし、顔も良くない。女の世界はわからないが、男は顔よりも面白くてナンボみたいな価値観がかなりを占めていると思う。気がする。そこに来てこの面白さの絶対量の少ない人間がいることになにか違和感を覚えることがある


だからこそ、誰かに誘われたりした時はとても嬉しくて、でもそんな感情をわざわざ表に出さなきゃならん相手なんか誘ってこないわけで


どんな物語にも結末が来る。時間も人も有限で、いつかは誰しもが今生きている世界に別れを告げる時が来るぐらい絶対に来る


よいこはそろそろ寝る時間だ。最近の夜は大概曇りで、まだ月も細いから雲越しに己を主張する元気を持っていない

いつまでもまとまらない文章なのは夜が静かで暗いからだ、きっとそうだ