脳内会議
人を誘うのが苦手だ
たぶん普通の人の2.5倍ぐらい
テレパシーも電波も操れないタイプの人間なので、普通の人がどれくらい人を誘うのが苦手だというのはわからないけど、たぶん2.5倍ぐらい、各自で勝手に解釈してほしい
人を誘う時、何を考えるのか
まず、自分はその人にとって誘われるだけの関係になっているかどうか
その後、その人は僕に誘われても抵抗がないかどうか
そして、自分のお誘いの内容がおかしくないかどうか
これらを考えた後、ようやく人を誘うことができる
ずっとこの体と頭と生きてきたので、考えすぎなことぐらいはもう10年ぐらい前からわかっている。でもたくさんたくさん考えちゃうんよね。あら、いらっしゃい、人を誘うのが苦手なみなさん。別に同意も意見もいらないからこの駄文を読んでくれるだけで、その事実だけで充分ですよ。
気を遣いすぎているのだろうか
考えすぎなのだろうか
たぶん両方だろう。2倍お得。バッドセール間違いなし。たぶん買った人がお金返さなきゃならんぐらいバッド
誘う相手が先輩、後輩ならなおさら考えてしまう。自分についてではない、相手にどれぐらい気を遣わしてしまうのだろうかと。
それに上に書いたプロセス以外にきっと多くのことが僕の脳内を駆け巡って考えている。
でも一番大きいのが、たくさんの思考と想像の階段を上った後に誘ってから断られることに対しての抵抗だろう。
もちろん誘った相手は人間だ、いくら人見知りとはいえそれぐらいはわかる。ついでに自分も人間だ。こんなことは考えなくてもわかる。マクドはなんとなく身体に悪いと同じぐらい簡単にわかる。
人間だからこそ、自分の知らない交友関係があって、その人なりの予定があったりする。ちょうどその日、誰かと出かける予定があるかもしれない。誰かと遊びに行く予定はなくても掃除する日を前から決めていたのかもしれない。僕とそこまで仲良くないと思っているかもしれない。色々あって誘われた所に行きたくないのかもしれない。
だから断る。
断られた後の自分のみじめさやなんとなく生まれる気まずさ。本当はそこまで考えなくていいのにねー、知ってる知ってる
普段、自分が当たり前にしている行為をされることにこんなにも抵抗があるだなんて、身勝手すぎて笑えてくる。
勝手に期待して、一緒にどこかに行ったりするのを考えた後に誘って断られると厳しいものがある。なんだこの人生、生きにくいったらありゃしねぇ
ありがたいことに時々、友人の少ない自分も誰かに誘われたりすることがある。
彼らの脳内を見ることはできない。どれほど考えたのか、悩んだのか、それとも社交辞令か、口から出まかせか、本当に気兼ねなく誘ったのか。
いづれにせよ、僕にはできないことをこなしていることへの尊敬、羨望
最近はインターネッツなるものが普及したおかげで顔を合わさなくとも会話、会話らしきものができるようになった。人並みにはそれらを使えるが、顔を合わすことのほうが好きだ。顔を見れば気の遣い方が2分の1ぐらいになる。相手の表情、アクション、そして何よりいい意味で考える時間を与えにくくする。
それに引き換え画面越しの言葉では分かることのほうが少ない。不名誉な意味での気遣い上級者になってくると、時間でさえも気にしてしまう。文字よ、恨むぞ
人はたくさん変わるというのが口癖だけど、たぶんこれは変わらない
誘うよりも誘われたい人間であること