季節のせい
年に一回ぐらいの周期で心がかなり弱くなる
去年もいつだったかかなり弱った。
だからといって咳が止まらなくなるだの鼻水が滝になるだの熱が出る、なんてことはない
精神的な疲れが、ある時ダムが崩れるように堰を切って心にぶち当たってくる。とはいえ背中に水が貯まりきって、経年劣化で崩れ落ちるということではない。そのころには既に水なんて干上がってしまっている。
言うならばダムの崩壊である。崩落。時すでにお寿司。自重で崩れ落ちていく
色んな人が崩れ落ちているはずなんだけど、みんなうまくごまかしたり、誰かに話したり、かと思えば知らない間にもっと強固なダムをつくっているから、崩れているのは自分だけではないかと錯覚してしまう。
崩壊したまま残して、周りを見て急いで新しいダムを作り上げる。だから一年に一回の周期で容易く崩れ落ちるのだろうか。
崩れ落ちるたびに、以前の再建の方法を探す。
連絡不精な上に人付き合いが苦手な僕は友人が少ない。ゆえに僕はたいがい重たい腰をあげて自力でしれっと、でも死ぬ気で、急いで作り上げる。
誰にも言わず、言えず。言いたくない。なるだけ弱さを見せたくない自尊心が、吹けば飛ぶような自尊心が邪魔をしてくる。
視野が狭いのにバカ正直なもんだからこれは自分の力だけで建てなきゃダメなんだと勝手に自分を追い込んだりしながら
とりあえずで建てたあとは安心と若干の不安は残る。不安なんて一緒にコンクリートに混ぜればよかった、なんて後悔しながら。あとから壊れていたことを指摘されても新しいダムの上でドヤ顔で仁王立ちする。実はその足元はもろく、狭く、崩れ落ちやすいはずなのに
ここ最近かなり熱い、春の余韻なんてぶっ飛ばして夏が階段を二段飛ばしで駆け上がってきた。初春も初夏もあるんだから、残暑みたいに残春も欲しい
暖かくなると心が緩む。時折ネジが外れる人がいる。それは緩めすぎ
春になると変質者が増えるそうだ。彼らも人間だから、身も心も暖かくなって出したがるんだろうか、いい迷惑だ。
ダムの周りには早めの春に咲いた花を散らした緑がうるさいぐらいに主張してくる、木も緩んでる。道端のツツジなんて不意の暖かさで思い出したかのように数多く咲き乱れる、手本にすべきは質より量か。
最近は鳥も緑を喜ぶかのように、心を緩めて鳴く。
暖かくなるといろんなことが始まる。いろんなものに追われて走り出したものだから、時間も体も心も途中で足が絡まってこけてしまう。
季節の変わり目に風邪をひきがちなのもこのせい、たぶんきっとそう。
でも自分から走ったり追いかけたりはしないんよねー、身勝手なもんで。
前にこけたときはどうやって土を払って走り出したんだろう。どうやって新しいダムをつくったんだろう。
知りたいけど知らない。聞きたいけど聞けない。
また自分で走り出すのだろう。
また自分で築きあげるのだろう。
ダムが崩れたのも道端でこけてしまったのも心が弱ったのも
全部季節のせいにして